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証言【3・11東日本大震災】―小国香保子さん(58)
 
   似顔絵を遺影代わりに飾らせてもらいました。まるで生き返ったみたいで…。お陰さまでお盆の供養もできました。あの大震災で家が丸ごと消えてなくなりました。父母の位牌を背負って逃げるのが精一杯でした。一番の心残りは写真を一枚も持ち出せなかったことです。  

   携帯電話の画像に両親の生前の写真が残っているのに気が付きました。父は17年前、母は2年前にこの世を去りました。“生き形見”ともいえるこの写真を眺めるのが唯一の 心の慰めでした。そんなある日、花巻から絵描きさんが来てくれたのです。5月中旬だったと思います。自画像を描いてもらおうと長い列ができました。津波で写真を失った被災者がこんなに多かったんだとびっくりしました。  

   父の写真は長い年月を経て色褪せた感じになっていました。「この写真を生き返らすことはできますか」と思い切って聞いてみました。その方は「やってみましょう」と言って矯(た)めつ眇(すが)めつ画像を見ていました。そして、やおら墨汁でデッサンを始め、パスレルで色付けしました。驚きました。両親が生前の表情そのままで眼前に現れたんですから…。  

   以来、似顔絵の両親と会話をするのが日課になりました。すると、両親と遊んだ幼い日々の光景が昨日のことのようにまぶたに浮かんでくるんです。今ではすっかり瓦礫(がれき)の荒野に変わり果ててしまいましたが、建物がなくなった分、海が急に近く感じられるようになりました。こんなに近かったんだと…。  

  家の前がすぐ砂浜。アサリを掘ったり、白魚(ワカサギ)を釣ったり。櫓(ろ)漕ぎの舟を操って遊んだり…。海を抜きに自分の人生は語れません。また、元の場所に戻りたいかって聞かれたら、もちろんそうだと答えます。津波が来たら逃げればいいんです。似顔絵の両親と語り合いながら、これからも静かな人生を送りたいと思っています。                           

                                                                    ★  

   花巻市在住の画家で理髪店経営の滝田恒男さん(69)が当時、避難所になっていた安渡小学校(大槌町)を訪れたのは5月15日。自画像を求めた人は全部で62人。ほかに愛犬や愛猫の絵を描いてもらった人などが長蛇の列を作った。滝田さんは画集「風の巡礼」で宮沢賢治イ−ハト−ブ奨励賞(1994年)を受賞。似顔絵には賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」を書き入れ、被災者を激励した。

  (写真は両親の似顔絵を胸にする小国さん(左)と実姉の戸沢多賀子さん(62)。洋裁が得意な2人は避難所生活を続けながら、手にしているような色んな作品を制作した=安渡小学校の避難所(当時)で)   

  =聞き手:ゆいっこ花巻 増子義久
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証言【3.11東日本大震災】―三浦勝さん(66)

 あの日、午前2時ごろ、1トン未満の持ち船(勝栄丸)を操って一人で漁に出た。漁場は大槌の港から30分ほどの沖合だ。波も風もないベタなぎ。イカの切り身を餌にした底縄(そこなわ)を600本ほど投下した。深さはざっと120�。ねらいはソイとドンコだ。こんな穏やかな海も珍しい。だから、縄ぶち(投下)も1時間足らず終わった。あとは「果報は寝て待て」というわけさ。  

 仮眠を取って、午前5時半ごろから縄を揚げはじめた。こんなことは長い漁師生活でも初めてのこと。50センチ以上のソイがスイスイと海面から顔を見せるじゃないか。ソイというやつは普段は海底の根(ね)の陰に隠れている。だから、餌に食い付いたとしても根がかりして糸が切られてしまうことが多い。それがどうしたことか。ほんとにスイスイだ。大物が100匹以上、それにドンコも200匹以上。1時間ちょっとでこれだけの大漁は初めての経験だった。  

 オレは市場を通さないでずっと、行商で売りさばいてきた。この日はご祝儀相場ということでドンコは5匹でたったの300円。ソイと合わせた売り上げは普段の倍のざっと1万5千円にもなった。11時ごろには売り切れてしまったので、網などの道具を取りに船に戻ろうと家を出た途端、地面が割れるような激しい揺れ。とっさに「津波が来る」と直感し、携帯ラジオだけをもって避難した。せっかくの売上金も家もすべてが津波もろともだ。  

 でも、オレはあれ以来ずっと考え続けている。魚たちは地震と津波を事前に予知したんではないのかと。あの日、漁をしていたのはオレを含めて数人だった。海の上での実際の体験だから絶対に間違いない。異変を予知した魚たちが巣から飛び出し、そうしたら目の前にイカの切り身がぶら下がっていた。それにパクッと食い付いた。かつて経験したことのない大漁の理由はこうとしか説明できないんだよ。  

 海との付き合いは船大工が最初だ。地元の中学を卒業してすぐ、弟子入りした。昭和35年のチリ地震津波の時も漁船が大きな被害を受けた。数えきれないほどの修理を手がけ、おかげで腕を磨くことができた。北海道・根室では昭和40年代、密漁船が露助(ロシア側)に拿捕(だほ)されたり、追突される事件が相次いだ。この時も長期間、修理に駆り出された。船大工なら自前の船を作れということで、その後はモ−タ−船や木造の和船づくりにも精を出した。  

 船大工から本格的な漁師になったのは30ちょっと前だったな。南米やニュ−ジ−ランドなど世界の海を股にかけて飛び回った。でも、年を取ってからはもっぱら前浜が守備範囲になった。一匹オオカミだから、いつも一人乗船だ。漁場も年中、同じ場所。自分であきれるほどの頑固もんなんだよ。で、あの日、大漁だった場所は普段なら20センチ前後のソイが何本か揚がる程度。それが腰を抜かすような大漁にこっちの方がびっくりしてしまった。  

 昔から地震や津波の前兆は「大漁」だと言われてきた。そのことは年寄りからも聞かされてきたが、今までは半信半疑だった。今回の体験でそれがウソでないことを身をもって知った。津波も恐ろしいが、とんでもない恵みを与えてくれるのも海なんだよ。毎朝4時、海のそばを散歩するのを日課にしている。海に向かって深呼吸をすると、背中がざわざわする。大物のソイを引き揚げた時の感触がまだ、この手に残っている。海の男の帰る所は海しかないのさ。
 
(花が趣味の三浦さん。避難所の花壇の水やりが日課になっている=大槌町の安渡小学校避難所で)

 =聞き手:いわて・ゆいっこ花巻 増子義久  
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