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証言【3.11東日本大震災】―山根恒夫(76)・豊子さん(74)夫妻

 神様のいたずらなんだろうか、あの日はちょうどオレの76歳の誕生日だったんだよ。年金を預けている銀行が誕生祝をくれるっていうんで、自転車をこいで貰いに行った。中身は皿のようだった。割れたらいかんと思って、荷台のかごにタオルを敷いて、その上に置いて…。そうして、家に戻ろうと北小(大槌北小学校)の前まで来た時、自転車ごと突き飛ばされてしまった。とにかく立ってはいられないようなすごい揺れだった。  

 かあちゃんが表に出ていたので、「津波が来る。早く車に乗れ」と怒鳴った。そうしたら母ちゃんは親しくしている近所のおばあさんの様子を見て来るって。「その人は一人暮らしだったの。家に入ったら、何と地震で倒れた仏壇の掃除をしているじゃないの。そんな場合じゃないと外に連れ出した」(と豊子さん)。4人を車に乗せて高台へ逃げ、さらに車を捨てて上へ上へと走った。かかとまで水が追いかけてきた。まさに間一髪だった。家も何も、あの誕生祝もな〜にもなくなってしまった。  

 それからがまた大変だったんだよ。まるで流浪の民みたいなもんだ。避難所には3日間いただけ。難を逃れた親戚に重度の自閉症の子がいた。一緒に生活していた妹がお産で入院したので、その間、その子の世話をすることになった。無事、出産して戻ってきたので、また避難所に入ろうとしたら、もう一杯だと。仕方がないから埼玉にいる長女のアパ−トに転がり込んで、ここに約40日間。これ以上、迷惑をかけるわけがいかないと思って、以前、湯治に来たことがあるこの温泉の世話になることに。6月24日のことだ。  

 一難去ってまた一難だ。ここには沿岸被災者が公費負担で避難しているが、あんたの場合は申し込みの期限が切れているからダメだと。そこにひょっこり現れたのがあんただったというわけだ。おかげで急きょ、公費負担でOKということになった。(この件については私も市側に再考を促したが、市の沿岸被災市町村支援本部の現場職員も公費負担を認めるよう県に働きかけていたことを付け加えておく)。  

 それにしてもどういう巡り合わせなんだろうな、あんたもあの震災の日が誕生日だっていうじゃないの。出会いがまるで前世から約束されていたみたいで…。孫がなぁ、「じいちゃんの誕生祝は津波だって。それを生き抜いたんだから、300歳まで生きるよ」だって。確かに漁師一筋の人生で2度も死に損なった。3度目の正直もこうやって、どっこい生きている。

 今回の大震災は未曽有の犠牲者を生み出した。でも、人と人とのつながりという広がりも作ってくれた。あんたもその一人だ。新しい親戚が出来たっていうわけだ。大槌の海のほっぺたが落ちるような新鮮な魚を食わせてやるからな。 (傍らで豊子さんがポツリと言った。「いっそのこと、津波に流されてしまった方が良かったと考えたこともあった。でも、今こうやって生きていて、人の情けの有難さを身に染みて感じている)。

 (写真は温泉でくつろぐ山根さん夫妻=花巻市の大沢温泉自炊部で)

=聞き手:ゆいっこ花巻支部 増子義久  

  (「3.11」という不思議なつながり。その最初の出会いについては、当ブログの4月29日付「ルポ・花巻―6(3.11)」で触れた。また、水俣病問題に取り組んでいる、敬愛する作家・石牟礼道子さんも3月11日生まれであることを最近知った(6月18日付朝日新聞)。石牟礼さんはその中で、今回の大震災の犠牲者と水俣病患者の姿を重ねながら、次のように語っている。「亡くなった人たちの魂が伝えようとしている遺言に向き合わなければ、日本は滅びると思います。でも、受けとめて立ち上がった時、今までとは異なる文明が出来上がるのではないでしょうか」。この言葉に支えられながら、これから先も歩んでいこうと思う)
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証言【3.11東日本大震災】―┿鮎綫薹辰気鵝83)

 ばあさまの遺言状だと思って、よ〜く聴けよ。いや、聴くだけではだめだ、ちゃんと録音にとって、みんなに聴かせておくれ。こんな歌だ。   

大津波 くぐりてめげぬ 心もて
いざ、おい進み 前のぼらます
前のぼらます

 「めげぬ」とはこの辺の言葉で「泳げない」という意味だ。津波の足は見た目よりもずっと速い。とにかく、甘く見ちゃならん。上へ上へと、とにかく高い所に逃げろということだ。昭和8年の津波の時は数えで7歳。親に起こされて、ロウソクの火を頼りに山へ山へと逃げた。下駄をつっかけたままな。夜が明けて道路に出たら、瓦礫(がれき)に下から「助けて」という声。その声の主を求めて、瓦礫の上をはいずり回ったことを昨日のことのように思い出すよ。この歌はその時に姉から教えてももらったのさ。  

 今度の津波の時も歌にあるように高台に逃げた。でも、どうしたわけが津波の様子を見たくなった。それでまた、海の方に戻って行った。そうしたら頭からガバッと水をかぶり、2回も津波の水を飲んでしまった。家の残骸につかまって危ういところで助かった。歌の文句が頭に沁みついているのにこのありさまだ。人には慢心がつきもの。自然を甘く見たらいかん。油断をしたらいかん。そういうことさ。これが今度の津波を生き抜いたばあさまの遺言状。  


=聞き手;ゆいっこ花巻支部 増子義久
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